思索の旅路〜恐れの扉ともち〜

日々の感じたことや考えたことを綴っていきます。また、日々の書くということの取り組みの記録です。

文章筋トレ0602ミドル

 一呼吸置いて、自分が何を書こうとしているのか。書くということについて考えを巡らす。どこかもうすでにちぐはぐしているというか、認識した時点でそのものは変容する。見つかった時点で、そのものはもうそのものでは存在し得なくなってしまう。言葉ではこうして表現するけれども、刻々と変化し得る。何を持って憶えられたいか。ふとこうして文章を書いている時、どこかで回想というか、思いを巡らす時に浮かんでくる言葉の一つである。別にそのことについて書きたいわけではない。もちろん必要があって、その言葉を登場させることはある。でも、今は別にそういうわけではない。書き言葉というよりも、話し言葉であるのか。そもそも言文一致体であるのか。その境界線はあるのかどうか、一致している部分もあるけど、今書いているようには、話さない。でも、こうして書いている言葉というのは、自分にとっては話し言葉のような感じなのである。

 小説というものを進めるという場合に、果たしてどのように書いていくのがいいか。そのことは、自分ではわからない。でも、それを人に聞いたからといってわかるわけではない。もちろんきっかけをもらったり、糸口が見つかる場合はある。でも、そうしたことがあるといっても、自分でやらないと結局はわからない。納得感がない。納得感がある上にしか、行動は起きないのである。感じていることと考えていること。その二つが調和している場合に、その調和はいい感じだったとしても、かなり器用に調和している風になっているだけである。その調和が最適なものであるとは思っていない。ベターではあっても、悪くはないという程度で、よくはない。いいとは思っていない。言葉にしたことをどう具現化していくか。どう行動していくか。こうしてどんどん自分のことにフォーカスが移っていくと、そのままどこかへいってしまう。よくわからないところで、行ったり来たり堂々巡りを始める。考え始めると、あまりいいことにはならない。考えることはもちろん必要で大事であるのだけど、それよりも思うままに行動してしまった方が道が拓けていく感じがある。その感じをどれだけリアルタイムに使っていけるか。そこが勝負であるように思う。

 どこか宣誓というか、誓いのようなような言葉を書いていると、このような感じになってしまう。ここでは描き切った感があるのだけど、だからこそここで完結してしまう。はい終了。即終了となってしまうから、書く時間があるなら、行動をと思ったりもするのだけど、それはどこかで逃げているのだと思う。自分に都合のいい言い訳をしているに過ぎない。何かアクションを起こすのも、書くということも、行動であって、どれだけそれらをやるかとうことだけである。やるかやらないかなのである。苦しいと思うのは、その先に行けない閉塞感もあるが、生みの苦しみとしての、踏ん張りどころであったりする。そこ踏ん張って、その先に行くかどうか。そのことは、ちょっとしたことの違いであっても、そのちょっとした違いが大きな違いになっていく。それは、時間がたったら大したことのないことであるかもしれないけど、その瞬間においてはとても一大事である。ただ事ではないと思っている。でも、それはただ思い込んでいる。勘違いであるかもしれない。思い過ごしかもしれない。

 考え始めると、どんどんわけがわからなくなってしまうから、そもそもなんだっけと思い返してみる。そうすると、そもそものことがクリアになっていく。でも、今のモヤモヤはこうしたことではどうも解決はしないようである。する感じがしないという感じがある。そのことはどこか確かな感じがしている。その気がないからなのか、踏ん切りをつけられていないのか。二の足を踏んでいるということだけは確かである。確かであるという感じは、感じであるから確かさだけはある。何を持って憶えられたいか。このフレーズが好きなのだと思う。何か困ったら、すぐに頭の中に出てくる言葉である。一生を通して何を成し遂げたいのか。どこか言葉だけで、日々の生活との接続性を感じないのである。言葉だけが存在しているが、実態がともなっている感じがしない。そのことだけは確かな感じがある。確かな感じがあるということだけは、確かなのである。

 さて、その先をどうするか。ちょっとこれまでと自分のトーンは変わっている。「である」というものを意識しているからだ。「である」調からの脱出。ちょっと距離を置いて書いてみるとこうなる。あまり変わっている感じはしない。吾輩は猫である。でもは、私は、いや僕は何であるか。ここに来て言葉遊びを始めている自分がいる。狙っているというか、どこかで言葉遊びに脱線したくなってしまった。トーンを変えて書いてみるということは実験であり、そのことをキープして文章を書き進めること。書き進めても、内容がないと段々と失速して、いつの間にか止まっている。動いているようで、実際には止まっている。止まってしまった、すべてが丸裸になってから何が残るか。言いたいことが後から出てくる。さっさといってしまえばいいものを、どこか回りくどく、順番を、説明する手順を考え出す。そんなことよりも、さっさと本題に入ったらどうか。そんなことを言いたくなる。ツッコミを入れているうちは、どこか人ごとであって、没入していない。集中するという状況を意図的に作っていくこと。目の前のことに集中していることは、とても気持ちのいいことである。今もこうして時間という制限がある中で、いかにできるかということを試されながら、格闘している。今の自分を、次の瞬間に超えていけるか。更新していくことがないと、、、、。どこか行き詰まる。