思索の旅路〜恐れの扉ともち〜

日々の感じたことや考えたことを綴っていきます。また、日々の書くということの取り組みの記録です。

小説部の文章筋トレ90分(20200202)

12月ぶりに文章筋トレをした。今回は、”小説部の文章筋トレ”だ。

通常の文章筋トレとは、”小説部の”という冠がついているかどうかの違いであるけど、そのことが大きな違いだ。

そういう場であるということを、主催の大谷さんから話があった上で、始めた。

以下、書いた文章。
 
 昨日のことが頭に残っている。どうしても忘れることができない。気になっているから、残っている。あの時の僕の言動は、あれでよかったのだろうか。いろいろとあの時に、考えをめぐらしていたけれど、あれ以上のことは何も出てこなかった。あれでよかったのかということよりも、あれしかなかった。あの時の自分には。
 やりきれなかったという気持ちと、頭打ちな状況とが交錯している。そして、今も落ち着けていない自分がいる。結果を変えることはできないし、今の自分にはこれしかない。これしかなかった。最善なものとして、選択したことは間違いではない。そんなことを、頭の中で、自分を納得させるために繰り返し繰り返し言葉にしている。
 そもそもに立ち返れば、初手で誤ってしまったことがすべての元凶だ。キープするべきことを、キープすることができないままに、走り出してしまった。もう動き出してしまったものは、争っても、流れに逆らおうとしても、打つ手はない。激流を泳ぎ始めたら、その流れに沿って進んでいくしかない。立ち止まって今の地点を確認することはできても、ただ確認するだけだ。枝分かれしていれば、どっちを行くかを選ぶことはできる。でも、始まりの場所に戻るわけではない。
 「僕は、ちくわちゃんだ。はじめまして。いや、もうすでにお会いしたことはあったかもしれないね。あっ、自分が一方的に知っている。ただそれだけのことだった。ついつい先ばしちゃったよ。こんな僕のこと知ってくれていて、どうもありがとう。」「何がなんだか分からないな。いったい君は誰なんだい。」「いやいや誰って、僕はちくわちゃんさ。」「それは知っているさ。なんでいきなり挨拶しているんだってことさ。」「うーん、そんなこと言われても、自己紹介したいから、ただそれだけのことさ。理由なんているのかい。」「耳に触る言い方だな。」「そんなこと言うなよ。仲良くしようじゃないか。」「そんなふうに言われると、余計に嫌になる。」「別に共感してほしいわけではないんだ。ただ存在に気づいたから、声をかけてまでのことなんだ。」「それは僕だって同じさ。」「声をかけられれば、とりあえずは反応するだろ。」「それはそうなんだけどさ。」「そもそも君は誰に話しかけていたんだ。」「えっと、誰だったかな。誰ってわけではないけど、誰かにだったかな。」「かなっと、一体どういうことだよ。」「誰でもよかったんだよ。だけど、だんだんと誰でもない誰かとして認識するようになっていくのだと思うよ。」「直感ってやつだね。」「僕はどうも考え過ぎてしまうところがあるんだ。考えて考えて、考えた結果決めたことって、たいていのことはいまいちなんだ。。どこかで都合のいいように解釈したり、自分を納得させるための、もっともらしい答えを導き出したりね。」「でも、その答えにしっくりきているわけではないんだろ。」「そうなんだ。都合のいいようにだから、実際とはどこか違っている。自分の出した答えと、自分の感じにはズレがあるんだよね。」「もっとそこにフォーカスを当ててみたらどうなんだい。」「うーん、それはわかっているんだ。だけど、なかなか初めてのこととなると、応用が効かなくてね。」「でもさ、そんなことを言っていたら、いつまで経ってもできるようにはならないよ。そんなんじゃずっと無理なんじゃないかな。もっとどんと構えないと。何が起こるか分からない。そのことをもっと楽しめるといいのにね。どんなに大変なことで、今までに経験がないとか、体験したことがないことであっても、その瞬間を楽しめることができていれば、いい方向にいくんじゃないかな。それがマイナスな思考に行ってしまうと、なかなか大変になってしまうね。」とまあ、こんなやりとりをしているうちに、もう月夜になっていた。
 ある日の夕方、突然問いかける。「僕はどうなりたいんだ。どうありたいんだろうか。」ありたい姿は明確で、そんなことが問いとして出てくるとも思わなかった。今のありようがすべてで、1日1日を着実に積み重ねていく。その先にしかたどり着かないんじゃないかな。そんな風に思うんだ。何時かということは、問題ではない。そんなことはどうだっていいだ。ただ、今を全力投球であること。ただそれだけのこと。それがすべてなんじゃないかなと思うよ。同じことの繰り返しのように見えることも、違っている。同じなんだという眼鏡で見ているだけに過ぎない。違う眼鏡で見れば、全然違った世界が広がっている。機微な変化を逃さずにキャッチすること。そのことが大事なんじゃないかなと思うよ。
 本棚のある生活。自分の思考の軌跡が、歴史が積み重なっている。思考の全体像を俯瞰することもできる。知的好奇心が刺激される。集う人が主に切磋琢磨する寺小屋のような研究会のような知の場。疲れた頭を癒してくれるお餅の数々やババロア、プリンなどなど手作りなお菓子たち。日によって、癒してくれる主役は代る。一緒にお茶や珈琲も飲みたくなる。近くの公園と大きめの教室の空間で、子どもたちと歌ったり、遊んだりする。アトリエでは絵を書いて、書斎では本を読んだり、文章を書く。そんなにたくさんのものはいらない。シンプルな生活。
 こうして書き出してみると、具体的に考えられるようになる。こうして書いている自分がいる。とにかくやってみることが一番だ。思いついたことを、実際にやってみること。「思いついたことは、たいていのことはできるのに、信じてもらえない。」実際にやってきて、かたちにしてきた、その経験則から生まれる言葉。実感を伴っている言葉は、とてもエネルギーがある。「君にそのような言葉を信じることができるかい。」「そんなこと君に言われる筋合いはないよ。」「やるってことが、やってみることが何よりの近道であることは間違いない。あとは、そのことをやるかどうか。やると決めたことをやること。やる勇気を持つこと。自分を信じて頑張ること。手を抜いてはいけない。誤魔化してはいけない。妥協せずに取り組むこと。」いつもこうして、固いモードに入っていく。言葉を連ねることによって、縛られる。縛られることで、自由さがなくなる。雁字搦めになって、身動きが取りづらくなる。考え過ぎは要注意。考え過ぎたら、考えることを止めること。手放すこと。そもそもに戻ること。感じていることを、感じていたことを手掛かりに、そこから始める。今がその感じとは違っているのはありうる話で、その時の感じから始める。ただそれだけのことだ。そこから始めることができると、考え過ぎていることは、自ずと解きほぐれてくる。いつの間にか入り組んでしまったものも、ガチガチに固まってしまったものも、解きほぐれていく。そうすると、からだもゆるんでくる。そうなったらこっちのもんだ。
 真っ青な青空を眺めるのもいい。風を感じながら、空を見上げること。とっても気持ちがいい。吹き抜ける風から、季節を感じる。もうすぐ春が訪れることを風が知らせる。雲も刻々と変化する。空を漂い、一定の方向へと進んでいく。夕日に照らされる雲は、そのグラデーションはとても美しい。つい言葉を失い、見入ってしまう。毎日、同じ空は一つとしてない。当たり前のことを当たり前に書いてしまう時、あっと思う。最後の一文。どこかなにかいつかの自分をなぞっている感じがした。そんな時には、あえて脱線したくなる。その先を書き進めても、ただ文章が続いていく。それだけのように感じてしまう。それでは面白くない。これまでとは違う何か。あっと思った時は要注意で、何かを感じ取っている自分。その感じを、自分のセンサーのん反応を見逃さない。そのことがなんであるか。逃さずキープすること。そうしてそのものを、そのことがなんなのかをよく見ること。連続性の中で、今という地点を抜き出しこと。そこから見える地平はどんな光景か。その先には、どんな景色が広がっているか。色とりどりの世界の中で、自分によっての世界が存在している。それぞれに存在している世界。その世界は、つながっていたり、交わっていたり、重なっていたりいろいろしている。複雑に混ざり合って、時にシンプルに存在しているようにも思う。文章に、色のイメージが登場すると、なんか鮮やかさを感じる。「っちくわちゃんは、もういいのかい。」「うん。今は大丈夫かな。なんだか落ち着いちゃった。」「そっか。それならいいさ。」「今度はどこに行こうかな。」