思索の旅路〜恐れの扉ともち〜

日々の感じたことや考えたことを綴っていきます。また、日々の書くということの取り組みの記録です。

文章筋トレ(自主トレ)191216

書くことの先に読むことがある。圧倒的に読む時間を作れていない。


常に何かに追われている。何かを言い訳にしている。そんな状況があるのではないか。


書く時間を確保できてきている感じがある中で、次に着手するべきは、読むことだ。


読もうと思っているもの。読みたいと思っているものはいっぱいある。でも読んでいない。それが現状だ。


今の自分にとっては読むことは必要としていないのか。でも、それはいいわけだ。


ある程度の負荷をかけないと始まらない。


書くことはある意味、なんでもありだし気軽だ。気軽なものではない。


今の自分にとっては、少なくとも相対的には気軽なものとして、身近に存在している。


そこから始めていったらいいのだと思う。表現することの絶対量が不足しているのかもしれない。


枯渇して、カラカラになっている状態。砂漠化してはいないのだとしたら、ある程度のところまで干からびさしたらどうか。


ある程度の量をやっていくことで、否が応でも水分を求める状態。読むことに飢える状態をつくること。


お腹いっぱいのままでは、いくら美味しいものでも楽しむことはできない。


無理してでも、やり続けることは必要だ。でも、目標がないと、そのために頑張るということでないと続かない。


読むとか、書くをすることの、その全体となる自分自身のそもそものエネルギーが枯渇してしまう。


自分の中にあるエネルギーが湧き出る状態の中で、いかにそれを使っていくか。


使いようであって、自分を読むということに取り組むように仕向けること。


きちんと読むということの、読む場を設定すること。読むための場づくり。


読むことに取り組むことを、漫然とではなく、はっきりしたものとして持つこと。


自分の中でにそれがないからまいまいになっていく。


読まなくてもなんとなかなるかもしれないが、想像を超えた展開にはならない。


新しいものに触れるという機会も自分で潰している。それではもったいないではないか。


できることは微力であったとしても、やったほうがいい感じがしたらやればいい。

文章筋トレ1208ミドル

 眩しいと感じながらも、今日1日が終わるのだということを、どこか寂しい気持ちで感じている私。気持ちよく浮いているわけではなくそこにいる。漂いながらも、移り変わる景色を眺めている。移り変わる景色は、刻々と変わっていく。私自身も、眩しいと思いながらも、かたちも色も刻々と変わっていく。いつ消えてしまうかもわからない。そもそも存在しているのに、存在していない。そんなことをふと思うのだった。

 ある日の夕方に、道端を歩いていると、何かが転がっている。「なんだろう?」と思い、足を止める。よく見てもなんなのかわらないので、かがんで目を凝らしてみる。確かに何かであるが、それがなんなのかがわからない。手にとって眺めてみるが、得体のしれない物体だ。決して大きなものではなく、手のひらに乗っかる。ふわふらと軽いようなものではない。でも、ずしっと中身があるようなものでもないようだ。不気味な感じはしないのに、そのもの自体のことは注意深く見ても何であるのか、まったくもってわからない。周りに誰かいたら、その人にすかさず聞くことができるだが、見渡しても人っ子一人いない。でも、自分の中で、だからと言って不安や恐れを抱いているという訳でもない。いたって心の中は穏やかで、落ち着いてその場にいる。誰かに連絡を取ることできるのに、その時の自分は連絡を取るということを、その手段を一切、選択肢には入れていなかった。それほどの必要感もなかったのかもしれない。手に持ったまま、その場に立ち尽くし私。時間だけが過ぎていくのがわかる。

 自分の中で完結すると、その場の感じも変わるのがわかる。その流れに抗って、続けるということもできる。だけど、そのまま変わらずに続けてもどこか違うという感じだけは自分の中にある。そのことだけは、自分にとって確かさとしてある。確かなものとして、確かさを感じている。

 ある日の金曜日。一体自分はどこに行きたいのか。行きたい場所なんてどこにもない。ただ思いついていないというわけではない。そもそも考えて行くようなものでもない。考えるということではなく、行きたいから行くのである。そこには理由は存在していない。ここでいう理由は、他者を説得したり、他者が納得するような客観性の伴った理由である。論理的だとかそうではないとか、そういうことを言いたいのではない。だけど、自分の中での納得感。確かさがある。自分にある確かさを、他者と共有する時には、そこには大きな隔たりがある。大きな壁が存在していて、自分の思いを言葉にして、その思いをそのままに伝えるという作業は、非常に難しい。できないということではなく、大きな壁を超えて、その先へ行くためには、それ相応の強度がないといけない。その必要がある。どんなことにも耐えうる強度を持っていないと、すぐに軸が揺らぎ、変質してしまう。

 手加減をする。誰に対してするのか。やっている主体は誰か。どういう時に、手加減をするのか。その時の自分の感じはどうか。爽快な感じがするのか。気持ちがいいのか。気分はどうか。どれもこれもいい感じはしないということだけは確かである。そもそも手加減なんてものをいつするのか。そんなことをしていい場合があるのか。どこか何かに妥協して、自分自身に対して、手加減をしてしまうこと。手を抜いて、ほどほどに止まること。一体誰なのか。正体を突き詰めたいわけではないけど、そのままでいいとは思っていない。明らかにして、晒したいと思っているわけではないが、事実として認めて、次に進むこと。それがないと始まらない。そのことだけは確かなのではないだろうか。

 夕暮れに照らされた私は、これからどこに行くのか。何を描いていくのか。すでに今描いている。何を描いているのか、自分にはわからない。他者の誰かが見つけてくれて、あとから見ることはできるかもれない。でも、自分が見るわけではない。自分が見られるということはあっても、見ることはない。それでいいのだ。今この瞬間に、存在を際立たせて存在すること。 

 

文章筋トレ1208ショート②

 10分はあっという間だ。あと10分もあると待ち遠しい時もあるけど、目の前のことに集中している時には短い。僕は一体誰なのだろうか。ふと自分の中で問いが生まれる。生まれたというよりは、自分の中の誰かが声を発した。その声を聞いている自分。

 時間のことを気にしていた自分はもうどこにもいない。別のことを考え始めている。明日の晩御飯は何にしようかなと、今日ではなく明日のことへもう意識がいっている。なぞそんな考えを巡らせるのか。ちょっと先のことまで、予定を見通して、早め早めにできることはやってしまおうという考えのもとに行動している。

 そうかと思うと、意外と今という時間を何となく過ごしていたりする。手軽なものを掴み取って、そのことに執着する自分。もっと本当はやった方がいいことがあるのにい、そのことをやるには、まだ時間的に大丈夫とたかをくくっている。直前になって焦ってなんとかやろうとする自分が眼に浮かぶか、同じことを繰り返す自分がいる。

 想像できるはずなのに、同じことを繰り返すという構造にはまっている。流れに身を任せるのではなく、自分で道を切り開いていくこと。加減を見るようなことはしないで、とにかく納得のいくまでそのことをやり尽くすこと。やり尽くした上で、その次にいく。洗い出しをすることまではやっているのに、そのものを貫徹させることが不完全だ。

 不完全のままに次に行こうとしても、行くエネルギーはあまりない。そうすると、やろうとすることも、すでにやっていることも、やろうとしていたことも、何もかもがないことになって消えていく。消えていくことは簡単で、非常にあっけないものだ。そうならないように、いかに積み上げていくことができるか。

 1つの柱となるものを見つけて、そのものを確固たるものにする。

 

文章筋トレ1208ショート①

 朝目が覚めると、昨日見た夢が脳裏に残っている。ここがどこなのかはわからない。懐かしい感じもしない。何かを期待して、懐かしい感じがするかなと思ったけどしない。周りの風景も曖昧で、何もなかったかもしれない。まったく何もないということはないはずだけど、思い出せるものはない。ただその場に自分がいたということだけは確かだった。

 誰かと会話をしていた。結論が出る話ではないけど、切実感のある内容だった。そのことを考えないわけにはいかない衝動にかられている。今のどこかでそのことを考えようとしている。でも、その話した内容のことを思い出すことができない。一体、自分は何なのだろうと考えを巡らせるが答えが見つかるわけではない。

 考えていると、どこかで何か進んだ感じがする。でも、それは気のせいである。ここから先に進もうとすると、どこかいつものループに入りそうな感じがしたので、方向転換をする。今の自分の感じを使って、次に進むこと。

 「今日は日差しが気持ちいいね」「もうすっかり夏だね。」「セミもみんみんと鳴いている。」「海にいって思いっきり泳ぎたいな」

 

文章筋トレ10分(自主トレ)

てくてく。てくてく歩く。

 

実際には、もっとスタスタと歩いている。

 

手が冷たい。もうそんな季節だ。

 

さらには雲が、飛行機が通り過ぎる音がする。

 

ごーっと音が、薄らと鳴り響いている。

 

地上では、車の通り過ぎる音が聞こえたと思うと、自転車が通りきすぎる。

 

その間も、どんどんと足を進めている自分の体。

 

鳥の囀りが聞こえる。車はひっきりなしに前からと後ろからも通り過ぎる。

 

群衆とすれ違い、後ろからは子供の群衆が走ってくる。

 

空を覆う雲は、薄らと太陽の日の光を浴びている。

 

僕の体には日は当たっていない。

 

昨日の車から見た、大きな党の真横に映る大きな月。

 

走りながら位置が変わると、いつの間にか小さくなっている。

 

月そのものの大きさが変わったわけではないが、見え方が変わる。

 

そうかと思うといきなり、反対車線から人が入り込んできた。

 

歩くのが早いわけではないのに、いきなり自分のすぐ前くらいに陣取ってくる。

 

少し足を早めれば、踏んでしまいそうである。

 

明らかに運動神経のない人であることがわかる。

 

間の悪さ。タイミング。テンポ感。

 

リズムのいいかどうかは、非常に重要だ。

 

もうすぐ秋に着く。

 

紅葉もいよいよ本番な感である。

 

木には日の光が当り始めている。

 

日に当たる僕の影が見える。

 

1日の始まりに。

文章筋トレ10分(自主トレ)

さてさて満員電車の日である。


まだ乗っているわけではないけれど、遅延しているのでもうほどほど確定である。


なぜ満員電車に乗るのか。乗っている光景は、異様である。狂気の沙汰である。


というようなことを、文章に書いている人がいた。


記事は見にしたが、その中身を読んだわけではない。


そうでなくても、どういうことであるかを考えてみる。


そもそも会社が一部に集中していることにより、またまた働き方も多様とは言える状況にはないのが実態であることを物語っている。


通勤電車に子どもと一緒に乗るということも基本的に無理である。


たまに1組やそこらが乗っていることはある。


でも基本的にすし詰めの状態の中で、毎日なんて無理な話である。


少し早く起きて出勤しても、毎日のように遅れている電車。


だんだんとエネルギーを奪われていくのがわかる。


すでに二本の電車に乗れていない。


この状況はなんなのか。全く持って意味不明である。


確かにこうした電車に黙って乗っているこの状況は異様なのだと思う。


思考していない自分はいる。


こういうものであると判断を保留している。


ようやく乗れたが、身動きを取れない。ギリギリ手だけは動かせている。


このまま乗って行った方がいいか。


乗り換えるのが正解か。


自分の乗った駅が異常であることに気づく。


なぜそうなっているのか。


もうなんだかんだで時間になりそうだ。


打つ手も変わり4分の1倍速くらいになって、時間を過ぎたので終えよう。

文章筋トレ10分(自主トレ)

久しぶりの筋トレをやってみる。


日差しを感じながら、電車を待っている。思ったよりも人が多い。


あまりストレスを感じたくないので、気持ちを安らかに。


気持ちの持ちようで、1日の始まりのあり様で、その日は決まる感じがする。


自分が場を展開して、その日ができていく。


いかにして関わりを持っていくか、働きかけるか。


そうした一つ一つのことが、様々なことに関わっていく。そんな感じがするのである。


早く起きた日には、早く起きたなりの、優雅な朝を過ごすのがいい。


コーヒーをおともに、やっておいた方がいいことに、集中して取り組むこと。


夜に作業をすることがなんだかできなくなっているこの状況の中では、朝にやるということにシフトするのがいいのだと思う。


だんだんとスピード感を持って書き進めていく。


すごーくゆっくりしたペースで書いていた自分に気づく。


そうかと思うと、今はなんだかとっても素早く、書き進めている。


自分の感じを感じて、その上で使うということに取り組むこと。


使えてなかったことに気づくだけではなく、その場で使うをやること。


やってみてどうかは、やってみないと分からない。


とにかくやってみるしかない。


やるのが一番である。


やってみて考えればいい。


やらないで後悔するより、やって後悔しろ。


大学時代の先輩が言っていた言葉だが、それ以外の時にも聞くことはある。


全く同じ表現ではないけれど、言わんとしていることは同じである。


それだけ本質をついている言葉なんだろう。


この言葉を思い浮かべる時には、その言葉を最初に聞いた時のことが思い出される。


言葉と記憶は連動している。


そろそろ電車に、という間もなく、電車が来て、先に座った。


朝の通勤は非常に慌ただしくなりがちである。


少し早い時間だと、全体的に人の数が少ない。


この時間の方が快適である。


この時間に通勤するように、完全にシフトしようではないか。


と思うのである。そろそろ時間になる。


時間に合わせてまとめに入ろうとしている、入っている自分がいる。


広がって収束していく。


そんな感じである。


1日の始まりに。